ハテナばかり
あゆみちゃん。謎だらけだよ!暗いのか?明るいのか?フレンドリーなのか?シャイなのか?
そもそも解剖学が好きなのか、キライなのか?
あゆみちゃんの印象がいつも定まらないのは、どういう訳だろうね?
オーラなんて言葉を使うつもりはないけど、いつも緊張感が保たれピリッとした雰囲気がするのは何処から来るのだろう?
背筋がいつも伸びているから?そう感じるのかな?
ダンスという人生
ある時、あゆみちゃんのSNSからダンスをしている事がわかったよ(別に隠してる訳でないよね?)。何だか無償に安心した。安直な言葉だけどさ、あゆみちゃんにはヨガっぽい匂いがしない、逆にいえばダンスという確かなバックホーンがあるからこそ、ヨガというジャンルに人生の行く先を尋ねたり、ヨガを通して人生の悩みを解決したりする必要がないのかな?なんて勝手に思ってる。ヨガが悪い訳じゃなく、より良い人生を送る為に、全ての人がヨガを選ぶ必要はない。そもそもこう言った言葉に過剰反応するヨギーもいるけど、それだからヨガというジャンルがなめられるんだよね!
人生に深くダンスが寄り添っていた事を知ったら、あゆみちゃんに関する謎が解けたような気がしたよ。芸術というものは、普通の感覚では出来ないし、成功もしないよね。普通という次元から離れているからこそ人の目を引く。あゆみちゃんにとっての普通は世間の価値観に収まるはずがなさそうだよ。そんな意味で、あゆみちゃんは外れているし、イカしてるし、イカれてる。そんなあゆみちゃんを見つけたある日から、親近感が湧き、どんどん興味が湧いてきたよ。ヨガは人生という言葉があるなら、ダンスが人生という生き方もあるよね。
孤高の人
人は何処かで世間や誰かを意識して生きる。ツッパらかる必要はないが、多かれ少なかれ、そうでもしない事には生き辛いからね。特に〝日本人〟という人種の僕達は、〝ある枠から外れたくない〟が強く、何処か同じ様な服を着て、同じような毎日を送る事で安心という幸せを優先してる感じだよね。
あゆみちゃんはそういった場所で生きていない、誰にも迎合せず好きに生きるのが私。その様はまるで孤高のロックシンガーのよう、東京のスタジオで着こなしが難しい派手なコートをさらりと纏うあゆみちゃんを見た時カッコ良った、ロックシンガー〟のようでさ。
何よりダンスをしてる肉体から発せられるアーサナは独特だね。あゆみちゃんのとるアーサナはまるでダンスの一部のように映る。zoom越でも釘付けになるようなアーサナを届けてくれる。指先一つ一つにまで、丁寧な思いが届いているアーサナは魂が宿ったかのように強い意思を感じるんだよ。それは身体コントロールの練習を何遍も繰り返した者のみが得られる深部感覚なんだろうね!そこに人は何故だかドキッとするんだよ。
苦すぎるコーヒー
今回のイベントに向け、あゆみちゃんは閉じていた過去を少し開いてくれた。それは癌宣告を受けた話であり、覚悟の必要な事だよね。あゆみちゃんが1人痛みを抱え込みながら飲むコーヒーは苦すぎるのか?それとも今を忘れる為の心への薬だったのか?
泣いても塞ぎ込んでも碧色の海は消えてしまい、車の窓から覗く海はあゆみちゃんを拒むようにモノトーンになってしまったかな?それでも指の隙間から漏れていく生きる事の素晴らしさを、これ以上溢れないようにと、人生のギリギリで踏みとどまり、明日を選び生きる事を肯定してくれたんだよね。辛い昨日にさえYESと頷こうとする覚悟、その姿こそ生きた哲学なのだから。たくましくて、何よりタフなあゆみちゃん。
内田かつのりから皆さまへ
碧色の海に散った癌宣告
歳とれば、少しずつ不調が増え何も無い人のが少ないでしょう。但し、それが癌となれば、、、やっぱり話は深刻です。
僕の亡き母も生前、胃癌を患いました。その道程で悩ましく、心かき乱されるような姿を何度も見てきたし、平静を装いながら普段では考えられない失敗の繰り返し・・。人間なんて弱い生き物、明日が来ない・・・と感じただけで、人生の終わりを感じるたけで、心が萎えてしまいます。
優しいはずの眠りの時間は叫びそうになり、布団を被った瞬間でも、逃げられない恐さが追いかけてきます。ふと忍び寄る冷たい何かに心臓を潰され、闇を覆うようやりきれなさは、明け方を超えても訪れます。それは僕らに想像もつきません。だからこそ、頑張ってね!なんて気安く言えないんです。
追い詰められた毎日の中、それでも明日という希望を選んでくれた、そんなあゆみちゃんの生命力。力溢れるアナ骨クラスをしてくれるようです。力をくれ!背中を押してよ!と、彷徨ってるあなた、一緒に楽しみましょう。